世界遺産の韮山反射炉に行って来た。白い4本の煙突とエンジ色の鉄の格子模様が印象的。実は、最初は下田で作ろうとしたが、ペリー艦隊が来たため、急遽この韮山の地に変更され建設されたという。欧米等の列強諸国に対抗するため、軍事力強化の必要性に駆られ、蘭書片手に試行錯誤で鉄製大砲製作に挑戦ということとなったようだ。
軍事力強化というと、ロシアのウクライナ侵攻など、嫌な方向に結びつきがちであるが、明治後期の反射炉の製作で日本に素晴らしい人材が育ち、日本の近代の産業、経済の発展の基盤がつくられたと思う。たとえ原子力でも、使い方の問題であって、核兵器で人を脅すのは問題外、安全な平和への利用であれば推進していけばいいと思う。
この反射炉が完成した後、地域の人々が中心となって、保存や修理が幾度も行われたため、現在も素晴らしい威容を誇っている。地域の人々に愛され、大切にされていると感じる。
韮山反射炉の少し奥の茶畑の上には見晴らし台がある。そこでは富士山と韮山反射炉の2つの世界遺産を同時に見ることができる。ちょうどテレビ局が取材していた。その人曰く「昨日は一日富士山は全然見れなかったけど、今日は最高」と。良い日に来れてよかった。
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