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  能登半島の地震から3週間。

今日も30分に一回ぐらい自衛隊と思われる大型ヘリコプターがバタバタバタという音とともに、会社の上空を行き来している。能登地方と金沢の自衛隊駐屯地を往復しているのだろうか。自衛隊をはじめ警察、消防、医療関係など、地震の被害からの復旧に、さまざまの分野の多くの方々に頑張っていただいていると肌で感ずる。

 先日、穴水に住む被災者が会社にやって来た。彼曰く、地震の揺れは、15年ほど前の能登地方の地震など、今までの地震とは比べものにならないほど大きかったと。ドーンと一瞬に、突き上げられたと思ったら、回転するかのように揺れた。家の壁は四方に、遠心力がかかったみたいに外に向かって倒れたとのこと。あまりにもあっけらかんと気丈に語る様子に、悲しみの深さと不安な気持ちを私は感じた。

 地震もまだすっかり収まっていないのに何も冷静に考えられるはずはない。被災者さんには安全な場所で休んでもらい、 心のケアをしてもらいたい。しばらく落ち着いてから、いろいろな支援があると思うので、どうするか、ゆっくり、考えてほしい。時間をかけて、 被災者に、適切な支援ができればと感ずる。

 
 
 

    

         本年もどうかよろしくお願い申し上げます。

 
 
 


 和田竜の小説「村上海賊の娘」を読んで どうしても「しまなみ海道」に行きたくなった。その海道沿いの島の能島と因島と来島にそれぞれ村上海賊がいて、能島がその元締め的な存在であったらしい。この辺りは島が込み合っていて、潮流が激しく渦潮もできるほど。水軍は通常は瀬戸内海を往来する船の道先案内の仕事をしていたという。そして、言うことを聞かない船には海賊となった。

 小説では「村上海賊」となっているが、私は、敬意を表し「村上水軍」と呼ぶ。村上水軍が毛利軍とともに、大坂本願寺に籠城する一向一揆派を助けに織田派の泉州の眞鍋水軍等と戦う小説。能島村上水軍の娘の景(きょう)と泉州水軍の七五三兵衛(しめのひょうえ)との壮絶な戦い、あっという間に全4巻を約1週間で読破できた。私にとっては読んだ本の中で一番の長さである。

 能島は伯方・大島大橋(上の写真)から南方にちらりと見える。周囲は約800mのすごく小さい平らな島。大島の宮窪漁港から観光船が出ていて、潮流体験として能島周辺の島を巡ることができる。12月で水温は低いので、知床岬の観光船の事故をちらりと思いだす。激しい潮流を観たいものの、沈没は勘弁してほしい。当日は心配するほどの波もなく、穏やかで気持ちよいクルージング。さすが瀬戸内海。

 下の写真の左が水軍城のあった本拠地の能島、右の祠のある島が鯛崎島、能島の南に連なる周囲200mほどの小島。城が築かれていた頃は2島が橋で繋がっていたという。この辺りは潮流が特にすごい。耳を澄ませば、潮流の音の合間から、舟をこぐ櫓の音が聞こえてくるようだ。小舟を操り、忙しく櫓をこぎ、沖合の大きな船へ集結する様子が、目の前に見える。目の前の通常の瀬戸内海は兵どもの夢の跡。

 

 
 
 
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